ねんどと屋台

 

小さな友人たちとわりあい波長があう。自分の過ごしたその時期に、私にとって大切なものをたくさんもらったからなのかもしれない。そのたからもののひとつ。

 

私が小学校2年生の時、おそらく転校する前の学期に、席がとなりあわせだった女の子がいた。私たちは図工の時間が好きで、彼女の専門分野はねんどだった。休み時間に「これをたくさんつくってお父さんの屋台で売る」というようなことをその子から聞いた。こんかいの材料は緑色のあぶらねんどではなく、消しゴムのカスが原料のねりけしだった。ほんとうに売りものにするのか想像の世界のことなのか私には分からなかったけれど、ただ率直にすごいなと思った。それまで私は自分でつくったものを売る、たくさんつくって売る、なんて考えたこともなかったから。そして、彼女の話をききながら私は、大きな人たちの雑踏と熱気の向こうで、発動機のオレンジ色の光のなかにいるその子の姿を思い浮かべていた。イメージは記憶によって脚色されるけれど、その時の言葉はたしかに、教室のなかから私の世界をひろげてくれた。彼女ははたらきものであり、人の内にある景色を象るすぐれた詩人であったと私は思っている。

 

給食の配膳を待っているあいだ、すこし下がって私のそばにいたその子が声をかけてくれた。おぼんをもっていた私のてもとに視線をうつして「てがきれいだね」と言ってくれた。手をほめられるなんてはじめてのことでうれしかったし、その子の感性がとてもすてきだと思った。お互いの手を見くらべて、「わたしなんてささくればっかりだよ」と言っていたけれど、その子のては線がやわらくてきれいだと思った。ただ、私にはじょうずに伝えることができなかった。給食の前のあわただしく過ぎる時間、先生の目には入らない*1ささやかで繊細なやりとりがあったこと。私もふくめ同年代の子供たちよりも多くの家事を、その子はひとりでしていたようだった。ゆびのさかむけは、手肌のケアをあまりできなかったからかもしれない。みらいから会いに行けるなら、marks & web のハンドクリームをおみやげにしようかな。

いちかわさんのてはとてもきれいだよ。 

 

*1:なにげない行動や会話や見聞きして、それはあなたの素敵なところですと伝える。そうして、彼女や彼らが自尊心をもつことの小さな手助けをすること。そのすべに長けた方はたしかにいます。